天台宗 薬王山
広福寺 墓所苑
埼玉県狭山市下奥富844三代将軍家光が鷹狩りの休息所として訪れた由緒ある古刹。
正徳4年(1714)寺が全焼し、古記録が焼失されたため開基は不詳だが、創建は永正11年(1514年)と伝えられている。当寺には、徳川三代将軍家光が度々、訪れたとの記録があり、寛永5年(1628)には川越城主松平伊豆守に命じて本堂西側に休憩所を造らせ、その側に御鷹部屋を建てて鷹を放ち飼いされたといわれている。本堂前の紅梅は、家光が嘆賞したので「御詞の梅」という言い伝えがあり、またその梅の側の井戸もその水で家光にお茶を入れたので、これも「梅の井」といわれている。同寺の山門は白壁が美しい竜宮造りの建築様式をとるもので、入母屋造りの瓦葺き屋根の下は鐘楼(しょうろう)になっている。この山門は、同寺所蔵の「表門諸入用帳面式」によると、 文化元年(1804)10月29日に棟上祝儀を行ったとあるので、翌年には完成したと考えられてる。また、同文書によると、工費は大工や木挽(こびき)の手間賃などを含めて281両2分2朱余とあるので、莫大な経費をかけて建てられたことがわかる。