浄土宗 孤峯山
蓮馨寺 墓所苑
埼玉県川越市連雀町7-1呑龍上人を祀る関東十八檀林の一つ。
天文18年(1549年)、川越城を攻め落した北条氏康は家老の大導寺駿河守政繁を城の将としたが、政繁の母の法名蓮馨大姉は信心深い人で、この地に開山した。後に豊臣秀吉に攻められたが無事に残り、徳川家より慶長12年(1607年)関東十八檀林の一つに指定され葵の紋所が許された。蓮馨寺は多くの逸材を輩出したが、中でも困窮者を助けて生仏のように崇められた呑龍上人は歴史的にも有名な人である。
天文18年(1549年)、川越城を攻め落した北条氏康は家老の大導寺駿河守政繁を城の将としたが、政繁の母の法名蓮馨大姉は信心深い人で、この地に開山した。後に豊臣秀吉に攻められたが無事に残り、徳川家より慶長12年(1607年)関東十八檀林の一つに指定され葵の紋所が許された。蓮馨寺は多くの逸材を輩出したが、中でも困窮者を助けて生仏のように崇められた呑龍上人は歴史的にも有名な人である。